こんにちわんこ。

ママリンはまたイタタタになったんだよ、のタルです。腰痛がかなり良くなったと思ったら、
ひょっとした拍子に
今度こそ本格的なぎっくり腰のような痛みがグキッと。
いよいよ整形外科に行かなくちゃダメかも、、、?
けふはChristi Himmelfahrt(クリスティ ヒンメルファールト=キリスト昇天祭←復活祭から数えて40日目)
そしてぐーママことpharyとだんな君の結婚記念日だったので
このギクッになる前にだんな君とちょっとドライブに行ってきました。
まずは隣村のレストランで腹ごしらえ。

飲み物はいつもの黒ビールと

Holunderschorle(ホールンダー=西洋ニワトコジュースの炭酸割り)。
けふはおドイツのVatertag(ファーターターク=父の日)でもあるということで
だんな君は父の日の特別メニュー、
その名もVatertag-Schweinerei(ファーターターク・シュヴァイネライ=父の日・豚のようなごちゃごちゃ)をチョイス。

すごいネーミングだなーと思ったけれど
見た目と量を見たら妙に納得。

こんなにお肉がのっているのに、
お野菜はルコラがパラっと散らしてあるだけ。
おドイツ料理は野菜摂取量が少ないです。
ぐーママことpharyはお上品に

ニンニクのキッシュにホワイトアスパラとエビのグリル、サラダ付き。
お腹がいっぱいになったところで
けふの目的地、190年の歴史ある古い製粉所(←博物館になっている)に向けて

GOGOひろみGO!
ここは1828年に建てられた製粉所で

ぐー家の家のある地域一帯の製粉を一手に受け持ってたそうです。
さっきゴハンを食べたばかりというのに、

ガイドが始まる前に
製粉所のカフェーで早々にコーヒーとケーキ。

さっきのレストランでデザートを食べなかったから、、、、。
後ろのテーブルのトイプーちゃんは、椅子に座ってケーキを半分」もらっていたんだよ、いいな。
よくないでしょ、あんな甘いクリームのケーキ!(←自分は食べたくせに)
見学は、 開館時間だけ動かすという製粉機がうるさいのと、

ガイドのオイたんの活舌が悪くて
説明がよく聞き取れなかったのが残念。
ママリンのおドイツ語能力が低いからじゃ?
ギクッ!
で、、、でも、だんな君もよくわからなかったって言ってたわよ。

製粉機の動力は建物の下を通っている運河が回す水車です。
製粉するのは小麦だけではなく、

ライ麦、粟、カラス麦、スペルト小麦などいろいろ。

穀物を

自動的に混ぜる機械。

動力を伝えるベルトは、なんと、特別加工した紙でできているそう。

触った感じは木のように硬かったです。
時間限定とはいえ、機械を動かすので

実際に粉も生産されます。
1839年に設置されたという手動のエレベーターは

今も現役です。
ガイドのオイたんが

自分も乗って
遊んでみせてくれました。
粉に混じった籾殻などをより分ける機械には絹布が使われているそうです。

粉だけが絹布の折り目を通って袋に詰め込まれる仕組みです。
左側の建物は

同じ水車の動力を利用した製材所です。

長くて重い木も

こんな風にして

製材所の中に取入れました。

水車守が寝泊まりした部屋。

ベッドが意外と小さいのは
当時のおドイツ人が今よりずっと小さかったからです。
150年前のハンガー。

部屋の隅にある蓋つきのこれは

うんP専用のオマルです。(←実際には木の便座がついていたそうです←でなきゃおPりが痛い)

ベッドの下にあるオマルは夜のおPっこ専用。

わきにあるのは靴(ブーツ)脱ぎ器。
ちなに当時は周囲が自然いっぱいなので
日チウは野良Pょん、野良うんだったそうです。
この部屋の陶器はみんな同じメーカーのものでオリジナルなのですが

実は↑のうんP専用オマルだけはオリジナルではないそうです。
と、いうのも、数年前に盗難にあったのです。
そしてつい先日、
このオマルとそっくり同じものがインターネットで売りに出されているのを職員の方が見つけたのですが、
なんと
2000ユーロの売値が付いていたそうです。
でも、盗まれたものであるという証拠がないため
訴えることはできなかったということです。
しかしオマル(←しかも、過去に実際にうんP用として実際に使われていた)なんか買う人は
それをいったいどうしようというのでせうね?
実際に使ってみるとか?
棚に飾って鑑賞するとか?(←どっちもなんかイヤ)
最後の部屋には

当時使われた製粉機や

昔の生活用品が展示されていました。

昔のオーブン

上の蓋を取れば直火でグリルもできるし
これ、ちょっとほしいかも。

あ、ボクのMutter(ムッター=母親)もこれと同じの持ってた。

おドイツの古い文字(ひげ文字)で書かれた料理の本に見るだんな君。
ひげ文字ってこういうのです。

今は、装飾的に時々使われる程度で
見慣れないので、読める人が少なくなっているということです。
ぐーママも、特に大文字は読めないのが多いです
ぐーママはちょっと前に
失敗からバターを作ったことがありましたが、
昔のバター作り器は、あの時と同じ原理ですね。(=クリームをひたすら混ぜる)

そして木の型に入れて固めた後は
当時の冷蔵庫に入れて二週間ぐらいで食べたそうです。

そのほかの食べ物を冷蔵する方法としては
縦に長い入れ物に入れて
川の水に沈めておくというのもあったそうです。
当時の冬の大事なビタミン供給源、Sauerkrut(ザワークラウト=酢漬けのキャベツ)を作るための

巨大千切り器。
100年前の女性の下着。

これはシャツと(デカ)おパンツがボタンでつながっているタイプ。
ドレス類はいろいろ見たことがありますが、
こういう下着は初めて見ました。
1942年ナチス時代のパンの配給切符。

10歳から20歳までの青少年に、
印刷してある期日内(約一週間)に500gあるいは1000gのパンが支給されるとあります。
戦争チウの食糧難の時でも、
育ち盛りの子供は優先的にパンがもらえたということでせう。
平和の天使。

戦争がなければ、食べ物に困ることはないということでしょう。
確かに19世紀のヨーロッパはあちこちで戦争してましたよね。
現在100kgの小麦粉がとれる同じ面積の麦畑から

1828年当時は8kgの小麦粉しか生産されなかったのは
単に栽培技術が未熟だったからというわけでもないでせう。
平和と技術の進歩のおかげで
昔とは桁違いの豊かな食生活を送れるようになったってことです。
ありがたいありがたい。
製粉所の見学より、最後の小さな博物室の方がずっと面白かったぐーママでした。
そして、帰宅してタルルンの足を拭いてあげようとかがんだ時に
ギクッ!
となった、ぐーママの腰~。

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良かったね~♪
写真いっぱいでこっちまで旅行した気分になりました。
腰、大丈夫ですかね?
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