こんにちわんこ。
ママリンたら、いまさら!な記事をアップするんだよ、のタルです。
2月ももうすぐだというのに
思い出したように去年5月31日~6月3日のロンドン旅行のことを書きます。
だってまだ三日目までしか書いてないんですもの。(←
筆が遅いキーボードが遅い)
たった四日間のことを
いつまでもモタモタ書いているぐーママことphary。

やっと最終日のことです。
これまでのロンドン旅行の記事はこちら↓ あるいはカテゴリー「旅行」の「2016年ロンドン」をクリックしてください。
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写真と旅行チウ書いていた旅行日記を頼りに記事を書きます。
緑文字はロンドンでつけていた旅行日記の写しです。
4日目は
最終日で午後にはガトウィック空港に向かわなくてはならないので
市内のケンジントン宮殿に行こうと思っていたのです
が、ベテランガイドのみきさんが

しょぼいですよ!
むしろハンプトンコートの方が見甲斐がある。
と、おっしゃるので、
ちょっと頑張って郊外のハンプトン・コート宮殿に行ってきました。
ちなみにちょっと前にみきさんのブログでハンプトン・コート宮殿のことをかなり詳しく・面白く・わかりやすく書いてありましたから、
より詳しく知りたい方はこちらを読んでください。→
みきさんのブログ・ハンプトン宮殿 みきさん、私のブログの内容が間違っていたら訂正してくださいね。
6:00起き。すぐ電車の時間を確かめる。
なぜ?微妙にずれている。1~2分。
Lambeth Northより地下鉄でWaterlooへ。
WaterlooよりSauthWest鉄道でハンプトンコートへ。
確かめた電車の時間は
午後にガトウィック空港へ行くものです。
前日ネットで調べてみたら
Waterlooからガトウィック方面への電車全部に!(=注意=走らないかもしれない)というマークがついていたからです。
このことに関しては後で詳しく書きたいと思います。
さて、
ハンプトン・コートへはこんなかわいい電車に乗っていきました。

敷地に入ってすぐにあるきれいな門。

ここも入場チケットを買うのにかなりの行列でしたが、
ぐーママたちは
天下のロンドンパスを持っていたので即入場。
ビバ、ロンドンパス。(←高いけど)
オーディオガイドの説明はかなり詳しく面白かったのですが、
この日は12:45の電車でWaterlooに戻らなければならなかったので
残念ながら、要所要所のみ飛ばして聞いていきました。
グレートホール

いくら高価なタペストリーで壁を覆っていたって
この広くて高い天井、冬は寒かっただろうな、と思う冷え性のぐーママ。
食卓は座って食器を持ったりしてもいいのです。まぁ、多分本物ではないからだと思いますが。

ちょっと
王様気分のだんな君。
脇部屋にあったおトイレの図。

昔ここにおトイレがあったのかな?(←ガイド聞き逃し)
きれいな部屋の

裏にある
召使たちの部屋。

ぐーママことpharyは召使の部屋の方をもっと詳しく見たいのに
残念、ドアのところから覗き見るだけでした。
ちなみに上の写真のタペストリーの陰に召使たちが出入りする秘密の(?)出入り口があるのだそうです。
ヘンリー8世のこの肖像画が飾ってあるホーンテッド・ギャラリーは

彼の4番目の妃、キャサリン・ハワードが1542年に王の護衛に逮捕され引きずり出される直前、
王の救いを求めてを悲鳴を上げながら走っていったといわれているところ。
泣き叫びながら捕えられたその姿でこのギャラリーを走る幽霊が現れたり
彼女の悲鳴が聞こえるらしいです。
霊感の強い方なんかは、ここに来ると
何かを感じるらしいですが
だんな君もぐーママも
こういう人なので、
もちろん何も感じませんでした。(←ちょっとがっかり)
ここは何だったかなー?

なんか会議をするような部屋でした。(←もうすっかり忘れている)
普通、お城の見学って

家具や壁などには触らないでください。
だと思うのですが、
前述のグレートホール同様、ここもみんなこの(たぶん)王様の椅子に座っていましたよ。
ここからはウィリアム3世の宮殿です。

武器がきれいに飾られた部屋。

ここまでは割と誰でもはいれたようです。
そこから部屋をひとつずつ進むごとに

王様の
プライベート度が増す部屋(=入れる人が限られてくる)になっていきます。
謁見の間、、、だったかな?

もしかして気の置けない人たちと語らう部屋だったかもしれません。(←自信なし)
そしてここが一番奥の王様の私室。

意外と小さいです。
この部屋を出てすぐ左手にあるこのドアの中には

王様のおトイレがあります。

でも、王様は廊下には出ずに
部屋から直接おトイレに行けたそうです。

え、そんなドアどこにあったのよ?
と、又王様の部屋に戻ったぐーママ。
よくよく見ないとわからないのですが、

壁にちゃんとドアが付いていました。

ふーん、こんな風になっているのね。
見学者がどんどん流れていてそれに逆らっての撮影だったのでブレブレですが、分かりますか?(←おトイレのドアを見たがるなんてあなただけよ)
うろ覚えなんですけど、こんな配置。

廊下に戻ったぐーママが王様のおトイレを
もっとちゃんと写真に撮ろうと、
ぐーママがおトイレの中に身を乗り出したとたん、
ビーッビーッビーッ
警報機が鳴っちゃいました。

ヒィーーーー、ごめんなさーい。(←でも、警備員も誰も現れなかった)
そんな苦労をして撮った王様のおトイレの
全貌です。


やっぱリオマル式なのね。
と、いうことは、
廊下側のドアは
王様のブツを処理する召使が使ったものと思われます。
有名なお庭とかもっとじっくり見たかったのですが、
何しろ時間が迫っていたので大急ぎで台所の方へ移動です。
所々で俳優さんたち(だと思います)がお芝居をやってましたが、

それもスルー。(←どうせ英語がわからなかったし、、、、)
食糧庫が並んだ小道。

なるべく日が当たらないようにして
自然の冷蔵庫にしていたそうです。
毎日600人分の食事を作っていた台所です。

このかまどは

煮炊きのほかに
直接肉などが焼ける仕組みになっています。

当時の一番のごちそうはローストした肉だったそうです。
この日はやはり俳優さん(?)が
本当に肉を焼いていました。
蝋細工で出来たロースト肉にも

ちゃんと焼串の穴が開いている
芸の細かさ。
毎日600ぐらい作られたパイ。

当時のパイ皮はシチューなどを入れる
器の代わりだったので食べなかったそうです。
以下、みきさんの説明です。
当時はあのキッチンで最低600人、多い時では1000人の食事を1日2回供していました。
飲み物やお料理のためのお皿など膨大な備品が必要でした。シチューを提供するための、オーブンに入れても大丈夫な器を何百も用意するのは大変だったようで、そこで考え出された方法です。
現在のパイ生地のように、大量の油分を練りこむわけではなく、小麦粉と水だけを練って作った生地です。
なので、焼いた後は固すぎて食べるのには不向きだったといわれています。
上の皮を取って、中のシチューのみ食されました。
皮の部分は宮殿の紋に集まってくる貧しい人々に施したそうです。
ロースト料理が高級なのは人手。串を回す屈強な料理人が必要常時必要だからです。
一番安いのは煮込み(スープやパイ) 次いでグリルやベイク、そしてロースト(焙り肉)。
食事の75%は肉でした。
カトラリーは自分のものを使う習慣でした。お金を持っている宮廷人たちは、こぞって凝った作りのカトラリーを使って自慢したそうです。最後に

これは!!!
と思った魚のパイ。

食欲減退しそうですよね。
もっともっと見ていたかったのですが、
電車の時間が迫ってきたので
後ろ髪をひかれながら駅に向かいました。
機会があったらもう一度訪ねてじっくり見学したいところです。
おまけ
ハンプトンコートの見学者用おトイレ。

これ、すごくいいアイディアだと思いました。

おまけ 2
電車の中で出会ったお兄さん。


写真を撮ってもいいですか?
と訊いたら
コスチューム装備を

バッチリ決めてくれました。(←なんでゾウさんの格好?って訊きそびれました←訊いても英語の説明はきっとわからなかったと思ふ)
おまけに

FBでもブログでも顔出しOKですよ。
むしろ是非出してください。
って、

えー、なんかそっち関係のお仕事しているのかしら?
ロンドン旅行記まだ終わりじゃありません。
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EU離脱の国民投票とかの前だったけ?
つか、おドイツはヨーロッパの中心でいいな~♪
地理的にも経済的にも。
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